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東京銀座で軍歌を歌える倶楽部。軍歌酒場「宜候」(ヨーソロ)が2018年6月末を以って閉店した。創業が昭和43年だ。実はギチギチマガジンの面々は「ヨーソロ」に入店したことがない!ずぅーーうっと前から行こうと思っていたが、結局行けず仕舞いでしかも閉店したことを知らずに今に至った(知ったのが閉店3か月後!)。これは我が人生において大きな不覚である。
ダースーとギチケンに突撃潜入取材に行ってもらおうと思っていた矢先の出来事であった。
ここで愉しく過ごすという妄想が現実になることはもう二度とないのかと思うと深い悲しみに暮れる。いまどき軍歌を全面に扱う倶楽部しかも場所が銀座ってことも優れたポイントであった。もうこのような倶楽部は出てこないだろう。
軍歌酒場「宜候」でネット検索すると実際に入店した方々の貴重な情報が見れるので興味があれば調べてみるとよい。羨ましい限りだ。
そして私との唯一の接点はこのヨーソロが広告を出していた軍歌祭だ。ヨーソロ閉店が悲しすぎるので、せめて私の軍歌祭の遍歴を記すことで、その悲しみを和らげたいと思う。読者諸君よ申し訳ないが付き合ってくれたまえ!
もくじ
平成22年10月16日 第35回軍楽隊大演奏会-九段会館
今は無き九段会館(旧軍人会館)での軍歌祭の思い出。「二・二六事件」で戒厳司令部が当施設内に設置された軍人会館。その後に「九段会館」と名前を変えて貸しホールや宿泊、結婚式場などが展開された歴史あるこの建物。その建物で平成22年10月16日に催された第35回軍楽隊大演奏会。この建物は平成23年の東日本大震災(つまり約半年後)により天井が崩壊し閉鎖・解体しているので大変貴重な体験であった。
当時を振り返ってみるとまず4000円なのに5時間という開演時間の長さに驚いた。そして、演奏している軍楽隊の方々は平均年齢80歳超え。そして流行歌手が一曲歌えば、すかさずマダムがステージに突撃しおひねり攻撃(普段のコンサートではもう見ない)。
観客を見渡せば、ご老人といってよい方ばかり。しかし皆一様に元気に日の丸を振りかざし大きな声で歌っていた。私もその場に混ざって一緒に歌えた事に感動したことを今でも覚えている。
なお、この軍楽隊大演奏会は那須の戦争博物館の館長「栗林白岳」氏が主催している。
平成26年10月18日 第42回軍楽隊大演奏会-日本青年館
平成26年10月18日に日本青年館で「第42回帝國陸海軍軍歌大演奏會軍装會」が公演された。
1943年秋、降りしきる雨の中で行われた悲壮感漂う学徒出陣がここから近くの明治神宮外苑競技場で行われている。その近くでこうして当時の歌を歌えることに様々な感情がこみ上げてくる。前回の九段会館に続き、この日本青年館も2020年のオリンピックに向けて2015年に解体が決まった。軍歌祭を開催した会場は解体される運命なのか!?そしてこの時ギチケンは前回の帝國婦人への憧れから、例のタスキをなんとか入手して持参してきていたのであった。
この年の夏にこの軍装會のスポンサーだと思われるトモヱ乳業株式会社の創始者が亡くなられた関係で、資金的な問題もあり次回の開催が出来ない。つまりこれが最後だということで盛大に行われた會であった。入場者にはトモヱ乳業の牛乳パックと長野のリンゴが配られる。どこぞのロックバンドのライブとは訳が違うのである。セキュリティチェックも無いし、自由に曲を愉しむこの會に本当に魅了された一日であった。
三鷹 淳 氏の「露営の歌」、「暁に祈る」にシビレっぱなしの私とギチケンであった。
なお今回で最後となっていた軍歌演奏會。栗林館長が最後に「やっぱり来年もやるぞ!」と宣言。会場は万雷の拍手に包まれたのであった。
なんと会場内で前回の演奏會でタスキを無理やり装着させて写真を撮らせて頂いた淑女を発見!
また写真をお願いすると、なんと腹に子が居るという。半年後に産まれる予定だそうだ。胎教に軍歌を選んできたということか!?恐れ入る。聞いたか日本中の妊婦よ!「胎教は「モーツァルト」だけではありませぬ!」軍歌・戦時歌謡である!(多方面の方から悲鳴が聞こえてきそうだ。色々な考えがあるのでご理解を)さぁ立派な赤子を産んでくれ!と別れを告げたギチケンだが、その瞳に一縷の涙が浮かんでいるようにも見えた。私はギチケンの肩を黙って抱き、そして二人で歩き出したのだ。