許永中が愚連隊からフィクサーになった転機とは

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許永中は戦後日本社会で

「闇社会の帝王」「闇の紳士」「経済フィクサー」

こう呼ばれていた。

どれだけ凄いか。

例えば、イトマン事件では「イトマン株式会社」から

総額で500億円以上の金を引き出している。

 

許永中がどのようにしてフィクサーになっていったか。

要約すると

「大物たちのトラブル処理を引き受け、信用を得ていった」

こういえる。

トラブル処理は誰しもやりたくないことだ。

表社会(政財界)がトラブル処理のために

許永中に闇社会との窓口役をさせることが、

都合が良かったのだろう。

そして、許永中自身は表と裏の人脈を使いこなし

数々の大立ち回りを繰り広げた。

 

それでは許永中がどのようにして、

「闇社会の帝王」と呼ばれる人物になっていったのか

生い立ちからみていこう。

1.故郷は大阪

終戦から2年後の1947年に許永中は生まれた。

大阪市北区(旧大淀区中津)。

当時は同和と朝鮮部落の居住地帯であった。

そういった人々が戦後の激動の日本を生き抜こうと力を寄せ合っていた。

少年時代の許の原風景は貧困と差別にあった。

生計は母親が作るドブロクであった。

母親が密造酒販売で連行されていく姿を少年の許永中は目撃している。

父はインテリだったため、

肉体労働を嫌い仕事をしなかった。

当時の日本に在日がインテリ職に就けることは少ないのだ。

2.学生時代は愚連隊のボス

中学時代の許永中は

身長180cm,体重100kg

体格に恵まれていた。

おのずと愚連隊のボスへ。

喧嘩に明け暮れる日々。

1950年の朝鮮戦争で状況が急変。

この戦争で朝鮮半島が2分割。

北朝鮮と韓国。

在日の彼らは祖国にどちらにするか2択を迫られる。

許永中の一家は韓国側を選択。

それまでの喧嘩は

「在日VS日本人」

という構図だったが、いつしか

「在日韓国人VS日本人」

「在日韓国人VS在日朝鮮人」

となる。

激しくもつれあった人間模様の中を生きた許永中は

「人間社会には差別感情は絶対になくならないのだ」と悟る

大学時代は40人からなる愚連隊のボスとなっていた。

許永中が育った中津の一角には

ヤクザや闇市を仕切っていた人物たちが暮らしており、

そういった人脈が後の活動に影響していく。

3.フィクサーと出会い事業家へ転身

愚連隊のボスの21歳のときに、

和歌山県の経営コンサルタントをしていた西山嘉一郎と出会う。

右翼や同和団体との人脈を持って暗躍していた人物だ。

愚連隊の仲間が許永中と西山を引き合わせた。

許永中の「最初の商売の先生」だ。

西山は元は産経新聞の記者だった。

情報収集や操作に長けていた。

こういった手練れを秘書兼運転手をしながら許永中は会得していった。

西村のバックには「大谷貴義」がいた。

大物の政商として知られた人物だ。

西部「そごう」の最高顧問をはじめ一流企業から顧問料を受け取っていた、いわゆるトラブル処理の裏で暗躍する黒幕であった。

西村を介して大谷とも知り合った許永中は

今まで見たこともない大谷の凄みに度肝を抜かれて

師事していった。

大谷の運転手兼用心棒となる。

そうして大谷の周囲にいる政財界の実力者たちと知り合う。

故郷の人脈を活かし同和利権に食い込んでいく

こうした人物との出会いを契機に、許永中は28歳で事業家へ転身する。

とはいえ、この時は

愚連隊のまま事業家へなったようなもんだ。

大阪万博の前年1969年に「同和対策事業特別措置法」が施行

「同特法」と略される。

劣悪だった同和地区の生活改善を目的とした法律だ。

これには30年で15兆円もの税金が投入されている。

これだけの大金なので利権が絡む。

許永中は大淀建設という土木工事の会社を経営し

同和関連事業を請け負う。

許永中の出身地の中津には

同和部落出身者が多くいたため、同和団体に知り合いが多い。

そのため同和関連事業を受注できたのだ。

建設会社同士のトラブルが多く、

裏社会の人間の出入りが激しかった。

ここで許永中は数々の裏社会の人脈を築いていった。

たとえば、関東の住吉会に興行の許可を得たこともある。

北島三郎のディナーショーやボクシング世界タイトルマッチを取り仕切った。

4.神様と出会い大物フィクサーへ飛躍

「私には神様がいる」

「一生涯かかっても返せない恩があの人にはある」

許永中がこう語る人物がいる。

この”神様”との出会いが

一介の愚連隊のボスだった許永中を

「闇社会の帝王」や「経済フィクサー」

に変貌させた転機だ。

 

その人物は

東邦生命の社長「太田清蔵」

日本でも指折りの名家の6代目当主

大阪のフィクサー「野村周史」の長男「野村雄作」を通じて

太田清蔵と出会い、信用された許永中。

資金的なバックボーンを得たことで

フィクサーとして暗躍することになる。

ではどうやってそんな大物の「太田清蔵」から

愚連隊のボス上がりの許永中が信用を得ていったのか。

東邦生命が抱えていた50億円といった規模の不良債権を

「任せておくなはれ」

と許永中はぜんぶ引き受けた。

東邦生命からすれば、

帳簿上から不良債権が消えて大助かりだ。

どんどん不良債権を許永中に押し付けていった。

こうして、許永中は太田清蔵から信用を得ていったのだ。

そして太田清蔵が絡むビジネスのトラブル処理を任されていく。

東急グループと東邦生命が建設ビジネスで

トラブルに巻き込まれたときに

許永中は火消しを買って出て、脅迫容疑で逮捕される。

こうした行動に太田清蔵をはじめ

東急グループの五島昇といった大物フィクサーから

さらに信頼を勝ち取っていった。

 

そんな中、日本はバブル経済に突入していく。

その過程で様々なバブル紳士が生まれていく。

そして彼らの経済事件の陰には

「許永中」の名前が見え隠れするようになる。

  • KBS京都乗っ取り
  • 日本レースの仕手株戦
  • 京都銀行の仕手株戦
  • イトマン事件

これらの経済事件については次回。


参考文献:「許永中 日本の闇を背負い続けた男」  著:森 功