防衛省見学ツアーと三島由紀夫と山の上ホテル

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かねてより参加したかった防衛省の見学ツアーに参加してきた。

正式名は「市ヶ谷地区見学(市ヶ谷台ツアー)」

市ヶ谷駅にある防衛省では

  • 極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷に使用した大講堂
  • 三島事件(三島由紀夫がクーデータの末、自決)の舞台となった旧陸軍大臣室やバルコニー
  • 大本営陸軍部の地下壕

といった歴史的な施設が見学できる。

極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用した大講堂

極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用する際に、GHQから影になる場所を作るなと指示され、天井から強力な照明を灯したそうだ。その理由は裁判の撮影を鮮明に記録したいからだとか。

 

ここでは旧軍の資料や制服なども展示してある。

 

この大講堂は、天皇陛下の玉座を中心に設計建築されている。

玉座に向かって末広がりに見えるようにタイルを張っていたり、

床に傾斜を作り、2階席と玉座の天皇陛下との目の位置が同じ高さと錯覚するような工夫がしてあるのだ。

 

 

 

三島事件の舞台となった場所の見学

三島由紀夫が演説したバルコニー

マイクや拡声器を使わずに、あくまでも肉声による雄叫びにこだわった三島由紀夫。

その演説は、マスコミのヘリコプターの騒音や自衛隊員の野次でほとんど聞こえず仕舞いだったとか。

演説は予定時間よりもかなり少なく、わずか10分ほどで切り上げられたという。

 

実際にバルコニーに出てみたかったが、それは不可ということでした。

三島由紀夫が七生報国のハチマキをして立っていたところ

三島由紀夫が残した刀傷

旧陸軍大臣室の総監室を占拠した三島由紀夫を含む楯の会メンバ。

占拠された側の防衛省も黙ってはいない。総監室の入り口に作られたバリケードを突破し人質となった益田総監を救い出そうとする。

日本刀で応戦する三島由紀夫。

その時の刀傷がドアの取っ手部分に残っており、見学可能だ。

防衛省としては立て籠もり事件のことをオフィシャルに宣伝はできないが、このツアーの目玉となっている。

わざわざ付箋を貼ってくれている

三島由紀夫が持参した日本刀・“関孫六”でつけた刀傷

刀傷と聞いて派手な傷を想像したが、意外と地味。

分厚い扉だから致し方ない。

大本営陸軍部の地下壕

2020年4月から見学場所に追加された旧陸軍・大本営地下壕跡

入り口は500Kg弾に耐え得る鉄扉が設置されていた(今はない)

昭和20年8月9日の御前会議にてポツダム宣言の受諾を決断した昭和天皇のご聖断。そのご聖断を翌日の8月10日にこの地下壕で阿南陸軍大臣が将校たちに伝えたという記録がある。

地下壕なので殺風景。

沖縄の防空壕とは違い整備されている

 

楯の会が作戦会議に使用した山の上ホテルに宿泊

三島由紀夫たち楯の会がクーデータの作戦を練るために頻繁に利用していたのが

お茶の水駅に今もある老舗の『山の上ホテル』だ。

立て籠もり事件の決行日を決める作戦会議にも山の上ホテル207号室が使われた。

 

楯の会の行動パターンにならって防衛省の市ヶ谷ツアーに参加する前に、山の上ホテルに宿泊してきた。

宿泊した日は偶然にも三島由紀夫が自決した憂国忌の11月25日。狙ったわけではなく、たまたまその日が空いていたからだ。

 

このホテルは多くの文豪に愛されていた。

川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、伊集院静らの作家が定宿としていた。

日本におけるクラシックホテルのひとつであり、建物はアール・デコ調のクラシカルな内外装を残している。

 

泊まった310号室は和室

 

夕食は「てんぷら山の上」でいただく。

ここのてんぷらは食通で有名な池波正太郎が絶賛している。

天ぷらには日本酒が合うが、店員におススメされ白ワインで愉しんだ。

夜は食事だけで2万円は必要だ。

値段も味も別次元。

死ぬまでにまた食べたい店TOP3にランクイン。

 

食後はチェックインの時に購入していたケーキを部屋で食べる。

てんぷらでおなか一杯なのだが、使命感で食べるのだ。

しかも2個。

左:キャラメル味のシュークリーム、右:カスタードシュークリーム

 

コースターは記念にもらいました。

 


金閣寺 (新潮文庫) [ 三島 由紀夫 ]