世紀末に現れた怪物『麻原彰晃の誕生』

一代にしてカルト教団を作り上げた

麻原彰晃こと松本智津夫。

 

いかにして

一部の若者たちを酔狂させた

「怪物」が生まれたのか。

幼年期に遡る徹底取材により

その原点を探った本がある。

『麻原彰晃の誕生』

高山文彦 著

 

数々の事件ついてはメディアで知っていたが

その過去の人生、人物像については

あまり目にしなかった。

 

世間を騒がせたあの当時

ノストラダムスが予言していた世紀末であり、

長い不況の中で

若者たちは不安を抱えていた。

何かにすがりたかったのだろうか。

今に比べて、新興宗教の事件が多かった気がする。

下図に著書でのキーワードをまとめた。

 

盲学校で築いた小帝国

麻原彰晃こと松本智津夫は熊本県に生まれた。

目の不自由な家系なのか本人を含め、

長男と5男も目の病気に悩まされた。

全盲の長男は盲学校に入学していた。

松本智津夫は左目は見えないものの、

右の視力は1.0もあり一般の学校に通うつもりであったが、

家族から無理やり盲学校へ入学させられる。

理由は

『病気の進行で全盲になるかもしれない事』

『盲学校は奨学金が支給される事』

とりわけ後者の理由が強かったようだ。

入学した盲学校の生徒たちは全盲であり、

ただ一人、右目の見える松本智津夫は

そこでの日常を右目に焼き付けていく。

そして、見えるということは

盲学校では強力な『武器』となり、

生徒たちをその目で支配・掌握していく。

すでにこの時点で

小さいながらも自らの『帝国』を築いたのであった。

上京と挫折

盲学校で取得した鍼灸免許にてアルバイトをしながら

東大合格を目指して代々木ゼミへ通う。

この時、たまたま隣に座った石井知子に

「あなたと結婚するつもりだ」

と松本智津夫は突然求婚し、その後結婚した。

会って2回目のことである。

彼女は後に教祖の妻と呼ばれるようになる。

結婚後の22歳には鍼灸院を船橋に開業。

夜になると予備校生ら若者を集めて、世直しの集会を開いていたという。

西山祥雲との出会い

結婚してまもなく「気学」や「四柱推命」「仙道」といった中国の運命学・修行を学び始めた。

阿含宗の桐山靖雄が書いた「1999年カルマと霊障からの脱出」という本に触れたことが、のちにオウム真理教の教義に影響を与えたらしい。

そしてこの時期に「西山祥雲」と出会う。

そこでの二人の会話が

以前から興味のあった宗教家という道を

決心させたような気がする。

西山祥雲に言われた『ある言葉』で智津夫の目は光り、

その場で忘れぬように大学ノートに書きなぐったという。

そして西山祥雲へ弟子入りを懇願するも、

智津夫のふてぶてしさを見抜いた西山祥雲に

激怒気味に断られる。

「私は矛盾の中で生まれ、矛盾の中で育ってきたような男です。これからも私は矛盾という雲の上を、矛盾という橇で滑っていくしかないと思っています。」

弟子入りを断られた智津夫はこう言ったという。

二度と来るなと祥雲に言われるも、最後に『詭弁術を身に着けろ』ということと『彰晃』という名前をもらう。

以後は『智津夫』は『彰晃』を名乗るようになる。

宗教家へ

西山祥雲と離れてから彰晃は渋谷に宗教団体を作る。

1985年には岩手県へ旅に出ていた。

『ヒヒイロカネ』という幻の金属を探す旅であった。

酒井勝軍の『竹内文書』という古文書に

永久に錆びない神秘の金属

そう書かれていたのを目にしたからだ。

彰晃はこれを超能力を増幅させる金属だと判断した。

紆余曲折あり、

釜石市でヒヒイロカネを研究している老人と出会う。

その老人は

この地方にある『餅鉄』という鉱石のなかに

『ヒヒイロカネ』があると信じて

憑りつかれたように研究を続けてきた老人だ。

 

老人はたくさんの『餅鉄』を彰晃に贈呈した。

これ以降、餅鉄ことヒヒイロカネは

彰晃にとって神秘のパワーを秘めた石として、

そして神格化のグッズとして

なくてはならないものとなる。

キャリアアップ

次に自らの神格化に不足しているのは、キャリアだと悟る。

インドの修行僧へ面会に行き、

そこでの逸話を日本の会員紙に書く。

極めつけはチベット仏教の最高位

『ダライラマ法王』との面会である。

14代ダライラマ

画像:Wikipediaより

第14代ダライラマと並んで撮った写真は

日本での箔付け・弟子の畏敬の念をより深めた。

以降、彰晃は定期的にチベット仏教へ

お布施を収めている。

日本円で1.6億円にものぼるという。

このお布施が有効だったのかは不明だが

ダライラマ法王名の推薦状を手にした。

これは東京都の宗教法人の認証審査を通すには

非常に強い力を持っていた。

箔が付き、信者からも神格化されゆく彰晃。

彼の血が100万円で売買される。

彼の風呂の残り湯が10万円。

こういったものを信者がこぞって奪い合う。

全国に支部を持つ巨大な帝国へ

富士山総本部で修行中に発狂した信者を教団幹部が死亡させた事件が起こる。

この時、教団は宗教法人の認証をすすめていた時期であり、

ことをあらげたくない彰晃は、死亡届を出さずに隠ぺいした。

そして、事件目撃者の信者がいることを知った彰晃は

「放っておくと危ない。ポアした方がいい」

と幹部に対して殺害を指示する。

教団が東京都から宗教法人の認証を受けたのは

それから半年後の1989年8月のことであった。


参考:『麻原彰晃の誕生』高山文彦 著