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森友学園、稲田防衛相(当時)や菅官房長官。そして最近では柴山昌彦文部科学相が取りざたされ、野党は躍起になって責め立てる。
とはいえ、
政治家が何を言おうが、与野党でバトルしていようが関係ない。
どちらの意見も否定も肯定もしない。
大事なのは自分がどう捉え、どう行動(対応)するかだ。
ただ政争の材料にされていることが残念だ。
しかも教育勅語についての反対意見はどれも揚げ足取りのようなものばかり。
天皇が民に命令しているので日本国憲法違反だとか、軍国主義を助長するといった意見が多い。
しかし、実際に全文を初めて読んでみたという人からは、
「ごく一般的な日本人なら誰しも習うような普通の道徳が述べられていて、軍国主義を助長するような記載はない。」
という感想を聞くことが多いのも経験上の事実。
とはいえ歴史的な書物の一つとして捉えることが一般的であろう。
金切り声をあげる必要はない気がする。
もくじ
教育勅語は早朝に読み上げるべし
さて「教育勅語」という単語を耳にしたとき貴方は、どう感じたか。
愛国的だなとか、あぶない思想の人だなといった拒否反応に近い感覚を示しただろうか?
しかしそれは単なる条件反射だ。
理解のないまま 昨今の世論により 刷り込まれた極めて受動的な条件反射。
そこで、経営コンサルで有名なマッキンゼー社の社員のように
深い考察力でもって、教育勅語を読み解き、自らのポジションを持ってみるのはいかがだろうか?
私の答えは至極簡潔。
「早朝に読み上げるとなんとも形容しがたい”凛”とした気持ちになる!」
以上!それだけだ!
わざわざマッキンゼーが使うような難しいシンキング手法を用いる必要がそこにはなかったのだ!
教育勅語は規範でありマニュアルではない
そして教育勅語の内容は「規範」であって、「マニュアル」ではないと考えている。
マニュアルになるとやらされ感満載でココロ此処に非ずの行動となってしまうからだ。
「お天道様が見ているから悪いことはしてはいけないよ」と言われ育った人は多いはずだ。
これが規範(=道徳)である。
「道徳」と「マニュアル」は異なる。
大人になり、お天道様は実際には目がないし見ていないでしょって気付いても、
なぜか心に後ろめたさが残り悪さに歯止めがかかる。
マニュアル違反を行いそうになった者への最後の砦が規範(=道徳)であり、そこに育ちの違いが出る。
その道徳を現代人には堅苦しい難解な言葉で述べられているのが教育勅語だ。
とはいえ、それを今さら読み進めようというのも確かに、「マニアックな行為」なのかもしれない。。
軍国主義に傾くという意見は教育勅語だけではなく、
いまや何にでも言われているが
あまりにも今の国民をバカにしていると思う。
みずから考えず、流されてしまう市民なのであれば、それこそ道徳が不足しているので
「教育勅語」を噛み締めて奉読させたほうがまだマシだろう。
戦後生まれの日本人は日本人ではない。なぜならば・・・。
今年、大東亜戦争で戦地で戦った元陸軍軍人の方に話を聞く機会があった。
100歳手前の大先輩であり、白兵戦は15回以上経験されているという強者。
いまや戦争”未”経験者が大半であるため、当時のことは文献や憶測で考えるしかないのだが、やはり当事者のお言葉は重い。
背筋の伸びた姿勢で自ら歩き、恐ろしいほどの記憶力で当時を振り返って語ってくれた。
あと数年で先の大戦経験者もご高齢によりお話を聞くことが困難となるだろう。
非常に貴重な歴史の伝言を直接本人から聞くことができたことは人生にとって大きい出来事であった。
この方が最後におっしゃった言葉が強烈に私の胸に突き刺さっている。
「戦後生まれの日本人は日本人ではない。」
「なぜならば、教育勅語を教わってないから。」
「日本は主義の国ではない。民主主義や共産主義とかではなく、精神の世界である。」
おそらく皆さんは、学生時代に修学旅行で
戦争被害に遭われた市民の方々からのお話は聞いたことがあるだろう。
一方で、祖国を守るために戦った元軍人からの話を聞く機会は少なかったのではないだろうか。
明治神宮へ参拝予定の人は教育勅語の冊子を無料でもらおう
渋谷区の明治神宮では教育勅語の小冊子を無料で配布している。
近々参拝の予定がある方は頂いて持って帰るとよいだろう。
最後になりますが
依頼さえあれば、教育勅語の暗唱を貴殿の結婚式の余興に披露させていただきたいと庶幾う。
― 裏万家 満室 ―